小夏失踪事件
小夏とは、我が家の猫のことである。
家猫として飼っている外の世界を知らないお嬢様で、まるで出来立ての白玉のようなきれいで艶々の白い毛と、ひまわりの花弁を陽で透かしたような黄色い目をしている。
私の実家にも猫がいたから、私にとって猫との暮らしはこれが初めてではない。
実家の猫は通称「八割れ」と言われる額に黒い八の字型の模様がある、おっとりとした性格の愛らしい雄猫だ。
彼は女だらけの我が家族たち(私は4姉妹の末っ子である)に暴力的と言われても仕方がないくらい、それはもうちやほやされて育った。そしてみんなから「かわいい」「かわいい」と言われれば言われるほどに、こぼれ落ちそうに潤んだ目をさらにまん丸にしてかわいい顔を作るようになったのを私は見たのである。
なるほど。どこかのCMで「かわいいは作れる」と言っていたけれど、確かに本当のことらしい。
そこで私は試してみることにした。小夏を「美しい、美しい」と言って育ててみたのである。
そうしたら面白い効果をあげ、彼女の歩き方は一度も教えたことなどないのにそこはとなくモデルウォークを感じさせるものとなり、お尻のラインのしなやかさはニンフを彷彿とさせる妖艶な魅力である。その上銀幕の女優のように憂いを帯びた節目がちの眼差しまで作るようになり、民家に差し込んだ単なる西陽が彼女がたたずむことで黄金色のスポットライトへと変化を遂げた。もし私が画家であれば思わず描かずにはいられない凛と鼻筋の通った横顔と言い、正に彼女は美しい猫に育ったのである。
夫は小夏様と呼んで、出張に行くと私よりも位の高い小夏にはお土産を買ってくる。といってもご当地の猫アイテムなど売っているわけもないので、東京のペットショップでは見かけないおもちゃを買って来るのだ。出張先で一体どこに行っているのだろうかと不審に思ったことも度々だが、小夏が喜べば何でも良い。
そんなある日の夕方のこと、夫がどこにも小夏がいないと言い出した。
小夏はローマの休日のアン王女をはじめ世界各国で散見される城を出て俗世が見たいお転婆美人とは一線を画す落ち着きのある猫なので、外に出たとはたいへん考えにくい。現に私が戸を開けたまま洗濯物を取り込んでいても、外に全く興味を示したことがない。「私には関係のないことだわ、世の中の人はたいへんねぇ」と思っているかどうかはもちろんわからないけれど、そこはかとなくそう思っていても不思議のない細い目で外を眺め、たいへん見下している様子を見せる。
夫とふたり、とりあえず家の中を探してみることにした。
寝室やクローゼットの中をはじめ、下駄箱や戸棚の中、大きめのバケツの中にトイレの中まで、こんなところに入れないだろうというところまで調べ尽くしたけれど、確かに小夏はどこにもいない。となると、やはり外に出てしまったのだろうか。
今日、窓を開けっぱなしにしていた時間はおそらくなかった。換気のためにガラス戸を開けていた時はあったけれど、網戸まで開くことはちょっとなぁと、夫も私も首を傾げた。一応調べてみたけれど、網戸には破れも見当たらない。
はてさてこんな時一体どうしたら良いのだろう。戻ってくるまで待っていれば良いのだろうか。といっても、外に出たかどうかもわからないのに。よくテレビドラマではいなくなった息子を探すために知り合いの家に遊びに行っていないかと電話で確認するシーンがあるけれど、小夏が私の友人の家に行くはずもない。ましてや警察に失踪届けを出すなんて言語同断である。となると、やっぱり自然に見つかるまで待つしかない。
打つ手がなくなりしばらくダイニングテーブルを挟んで黙り込んだ我々二人であったが、きっと戻ってくるだろうと自分たちをなだめていつもの日常を送ろうとつとめた。けれども買い出しに行ったスーパーの野菜売り場を一通り眺めた後、ふとした瞬間に、彼女は一体どこから戻ってくるのというのだろうかと、漠然とした不安とも言い切れない霧のような感覚に苛まれた。たびたび小さな蟻が体のどこかを這っているようなゾワゾワとした違和感を感じながら、けれど泣くにはまだ早すぎて、私はどうしたら良いのかわからなくなった。
家猫として飼っている外の世界を知らないお嬢様で、まるで出来立ての白玉のようなきれいで艶々の白い毛と、ひまわりの花弁を陽で透かしたような黄色い目をしている。
私の実家にも猫がいたから、私にとって猫との暮らしはこれが初めてではない。
実家の猫は通称「八割れ」と言われる額に黒い八の字型の模様がある、おっとりとした性格の愛らしい雄猫だ。
彼は女だらけの我が家族たち(私は4姉妹の末っ子である)に暴力的と言われても仕方がないくらい、それはもうちやほやされて育った。そしてみんなから「かわいい」「かわいい」と言われれば言われるほどに、こぼれ落ちそうに潤んだ目をさらにまん丸にしてかわいい顔を作るようになったのを私は見たのである。
なるほど。どこかのCMで「かわいいは作れる」と言っていたけれど、確かに本当のことらしい。
そこで私は試してみることにした。小夏を「美しい、美しい」と言って育ててみたのである。
そうしたら面白い効果をあげ、彼女の歩き方は一度も教えたことなどないのにそこはとなくモデルウォークを感じさせるものとなり、お尻のラインのしなやかさはニンフを彷彿とさせる妖艶な魅力である。その上銀幕の女優のように憂いを帯びた節目がちの眼差しまで作るようになり、民家に差し込んだ単なる西陽が彼女がたたずむことで黄金色のスポットライトへと変化を遂げた。もし私が画家であれば思わず描かずにはいられない凛と鼻筋の通った横顔と言い、正に彼女は美しい猫に育ったのである。
夫は小夏様と呼んで、出張に行くと私よりも位の高い小夏にはお土産を買ってくる。といってもご当地の猫アイテムなど売っているわけもないので、東京のペットショップでは見かけないおもちゃを買って来るのだ。出張先で一体どこに行っているのだろうかと不審に思ったことも度々だが、小夏が喜べば何でも良い。
そんなある日の夕方のこと、夫がどこにも小夏がいないと言い出した。
小夏はローマの休日のアン王女をはじめ世界各国で散見される城を出て俗世が見たいお転婆美人とは一線を画す落ち着きのある猫なので、外に出たとはたいへん考えにくい。現に私が戸を開けたまま洗濯物を取り込んでいても、外に全く興味を示したことがない。「私には関係のないことだわ、世の中の人はたいへんねぇ」と思っているかどうかはもちろんわからないけれど、そこはかとなくそう思っていても不思議のない細い目で外を眺め、たいへん見下している様子を見せる。
夫とふたり、とりあえず家の中を探してみることにした。
寝室やクローゼットの中をはじめ、下駄箱や戸棚の中、大きめのバケツの中にトイレの中まで、こんなところに入れないだろうというところまで調べ尽くしたけれど、確かに小夏はどこにもいない。となると、やはり外に出てしまったのだろうか。
今日、窓を開けっぱなしにしていた時間はおそらくなかった。換気のためにガラス戸を開けていた時はあったけれど、網戸まで開くことはちょっとなぁと、夫も私も首を傾げた。一応調べてみたけれど、網戸には破れも見当たらない。
はてさてこんな時一体どうしたら良いのだろう。戻ってくるまで待っていれば良いのだろうか。といっても、外に出たかどうかもわからないのに。よくテレビドラマではいなくなった息子を探すために知り合いの家に遊びに行っていないかと電話で確認するシーンがあるけれど、小夏が私の友人の家に行くはずもない。ましてや警察に失踪届けを出すなんて言語同断である。となると、やっぱり自然に見つかるまで待つしかない。
打つ手がなくなりしばらくダイニングテーブルを挟んで黙り込んだ我々二人であったが、きっと戻ってくるだろうと自分たちをなだめていつもの日常を送ろうとつとめた。けれども買い出しに行ったスーパーの野菜売り場を一通り眺めた後、ふとした瞬間に、彼女は一体どこから戻ってくるのというのだろうかと、漠然とした不安とも言い切れない霧のような感覚に苛まれた。たびたび小さな蟻が体のどこかを這っているようなゾワゾワとした違和感を感じながら、けれど泣くにはまだ早すぎて、私はどうしたら良いのかわからなくなった。
さて、結末を言ってしまうと、小夏はあっさりと見つかった。
時刻は午後18時半。いつもだったら彼女に夕飯をあげる時間である。
夫が見ていたテレビの音と揚げ物のパチパチという音で最初は気づかなかったけれど、どうも猫の鳴き声が聞こえた気がして、私は火を止め説明もなく夫のテレビをちょん切るようにばつんと消した。
小夏がいなくなったあまりとうとう俺に八つ当たりを始めたと夫は最初思ったようだが、聴覚に全神経をかけたかった私にとっては彼の怪訝な顔など甚だどうでもよく、やはり膜がかかったようにではあるが聞こえてくる鳴き声が、私の希望から生み出される幻聴などではなく現実のものあることがわかるやいなや私は目に力を戻した。
「猫の鳴き声がする」
私にそう言われて、夫も目に生気を戻し、二人でどこからその声がするのか辿っていった。
そして彼女がどこにいたのかといえば、蓋のしまった空の浴槽の中である。
なぜそんなところにと思いはしたが、猫に居た理由を問うたところでどうにもならない。人間のように理由なんてものを彼女たちは持ち合わせていないのだ。
そしてこの小夏失踪事件の過失を問い詰められることになったのは、夫である。
猫が自分で蓋を閉められるはずもなく、小夏が中にいた時に閉めた人間がいるはずなのだ。そしてその犯人は、どう考えても夫しかいない。けれども夫もまた「どうして?」と聞かれたところで、本人はよくわからないという。そしてそもそも蓋を閉めた記憶すらないと。だがしかし、記憶も悪気もなかろうが、小夏様を閉じ込めた罪はたいへん重い。
それ以来小夏は夫に小さな仕返しを繰り返すようになった。
彼の仕事用の鞄の中のものを必死になって掻き出したり、彼のお気に入りのネクタイを引きずり出して玄関のたたきに放置したり(最初の発見者は私だったが蛇でも出たのかと思った)、彼の椅子の上から断固どかず、やむなく彼はリビングのソファでご飯を食べるに追い込まれた。
夫は小夏に何度も謝りご機嫌を取ろうと甘い声を出していたが、一週間経ってもなかなか許そうとしない彼女の態度に業を煮やし、どうやらちょっと意地悪な気持ちになってきたらしい。そこで言ってはいけない言葉を言ってしまった。「もっと早く鳴けばよかったじゃないか」と。小夏様のプライドの高さを知っている私は、そんな二人をキッチンのカウンター越しに眺めてゴクリと唾を飲みこんだ。
言われた小夏はしばらくいつも通り首筋を伸ばして上品に座っていたけれど、次の瞬間、男を振る美女のように顎を高くあげフンっと鼻を鳴らし、明らかに夫に対して我慢ならないわと言いたげな態度を見せた。
猫にまで余計な一言を言うなんて。
小夏様の嫌がらせは、まだまだ続きそうである。
時刻は午後18時半。いつもだったら彼女に夕飯をあげる時間である。
夫が見ていたテレビの音と揚げ物のパチパチという音で最初は気づかなかったけれど、どうも猫の鳴き声が聞こえた気がして、私は火を止め説明もなく夫のテレビをちょん切るようにばつんと消した。
小夏がいなくなったあまりとうとう俺に八つ当たりを始めたと夫は最初思ったようだが、聴覚に全神経をかけたかった私にとっては彼の怪訝な顔など甚だどうでもよく、やはり膜がかかったようにではあるが聞こえてくる鳴き声が、私の希望から生み出される幻聴などではなく現実のものあることがわかるやいなや私は目に力を戻した。
「猫の鳴き声がする」
私にそう言われて、夫も目に生気を戻し、二人でどこからその声がするのか辿っていった。
そして彼女がどこにいたのかといえば、蓋のしまった空の浴槽の中である。
なぜそんなところにと思いはしたが、猫に居た理由を問うたところでどうにもならない。人間のように理由なんてものを彼女たちは持ち合わせていないのだ。
そしてこの小夏失踪事件の過失を問い詰められることになったのは、夫である。
猫が自分で蓋を閉められるはずもなく、小夏が中にいた時に閉めた人間がいるはずなのだ。そしてその犯人は、どう考えても夫しかいない。けれども夫もまた「どうして?」と聞かれたところで、本人はよくわからないという。そしてそもそも蓋を閉めた記憶すらないと。だがしかし、記憶も悪気もなかろうが、小夏様を閉じ込めた罪はたいへん重い。
それ以来小夏は夫に小さな仕返しを繰り返すようになった。
彼の仕事用の鞄の中のものを必死になって掻き出したり、彼のお気に入りのネクタイを引きずり出して玄関のたたきに放置したり(最初の発見者は私だったが蛇でも出たのかと思った)、彼の椅子の上から断固どかず、やむなく彼はリビングのソファでご飯を食べるに追い込まれた。
夫は小夏に何度も謝りご機嫌を取ろうと甘い声を出していたが、一週間経ってもなかなか許そうとしない彼女の態度に業を煮やし、どうやらちょっと意地悪な気持ちになってきたらしい。そこで言ってはいけない言葉を言ってしまった。「もっと早く鳴けばよかったじゃないか」と。小夏様のプライドの高さを知っている私は、そんな二人をキッチンのカウンター越しに眺めてゴクリと唾を飲みこんだ。
言われた小夏はしばらくいつも通り首筋を伸ばして上品に座っていたけれど、次の瞬間、男を振る美女のように顎を高くあげフンっと鼻を鳴らし、明らかに夫に対して我慢ならないわと言いたげな態度を見せた。
猫にまで余計な一言を言うなんて。
小夏様の嫌がらせは、まだまだ続きそうである。
夫の靴下事情
夫が無印良品の紙袋をぶら下げて帰ってきたならば、疑わなければならないことがある。
彼が台所の椅子にそれを置き離れたのを見計らって、私はそっと中をのぞき、自分の推測が当たっていたことに「それ見たことか」とほくそ笑む。そして同時に共に暮らす者としては困ったことだと思わざるを得ない。けれども部屋から出てきた夫の目の下にクマを見た途端に、今は問い詰める時期ではないと思い直し、今回は無罪方面、見逃してやろうと思うのだ。
さて、それからまた数ヶ月後のことである。小さな無印良品の紙袋。この間は見逃してやったが今回ばかりは温情をかけてなるものかと、私は夫が「ただいま」と言った途端に、紙袋にすかさず視線を向ける。
「それ」
「あぁこれ?」
そして夫が中身の頭文字を言う前に、こう言った。
「どうせ靴下でしょう?」
夫や彼氏の浮気を探る女性陣が、だんだんとハンティングをするかのごとくアドレナリンが迸り、浮気の証拠を掴んだ途端に興奮のあまり悲しいよりもうれしいという気持ちが優ってしまうという話を何度か聞いたことがあるけれど、まさにそれである。私はこの一言を言っただけで、真夏に2時間歩いた後にビールを飲んだくらいスカッとして気持ちがよくなっていた。
「なんでわかるの?」
なんでもなにも、何度このパターンを繰り返したのよ、あなた。
彼が台所の椅子にそれを置き離れたのを見計らって、私はそっと中をのぞき、自分の推測が当たっていたことに「それ見たことか」とほくそ笑む。そして同時に共に暮らす者としては困ったことだと思わざるを得ない。けれども部屋から出てきた夫の目の下にクマを見た途端に、今は問い詰める時期ではないと思い直し、今回は無罪方面、見逃してやろうと思うのだ。
さて、それからまた数ヶ月後のことである。小さな無印良品の紙袋。この間は見逃してやったが今回ばかりは温情をかけてなるものかと、私は夫が「ただいま」と言った途端に、紙袋にすかさず視線を向ける。
「それ」
「あぁこれ?」
そして夫が中身の頭文字を言う前に、こう言った。
「どうせ靴下でしょう?」
夫や彼氏の浮気を探る女性陣が、だんだんとハンティングをするかのごとくアドレナリンが迸り、浮気の証拠を掴んだ途端に興奮のあまり悲しいよりもうれしいという気持ちが優ってしまうという話を何度か聞いたことがあるけれど、まさにそれである。私はこの一言を言っただけで、真夏に2時間歩いた後にビールを飲んだくらいスカッとして気持ちがよくなっていた。
「なんでわかるの?」
なんでもなにも、何度このパターンを繰り返したのよ、あなた。
夫は無印良品で靴下を買ってくる。それも履ける靴下が山ほどあるにもかかわらず。それというのもどうやら、どこに靴下を置いたのかわからなくなってしまうのが原因のようなのだ。
どこに置いたか分からなくなってしまっているだけで、靴下は家のどこかにある。だから彼がせっせと補給すればするほど、家の中の総靴下量は増すばかりなのだ。
靴下がどこにいっているのかといえば、出張に行った際の旅行鞄の中であり、旅行先から荷物が増えて小分けにした紙袋の中であり、ベッドと壁の数センチの隙間であり、タンスの下であり、棚の上のサボテンの間である。一回私たちが簡易の神棚を作っている棚の上にきれいに折り畳まれた靴下が置かれているのを見た時は、「なるほどなぁ」と、ジャングルで新種の動物の生態調査をしている学者のごとく妙に感心してしまった。こんなパターンもあるのですねと。
姪っ子の芳佳ちゃんがある日学校から出された自由研究に困っているところに出会ったので、うちの夫の靴下の写真を撮り、日付と状況を説明した文章を添えたら立派に自由研究にならないだろうかと提案したが、それはそれは怪訝な顔をされた。私としては文化人類学の新しい視座が開けるかもしれないと思ったのだが、「やっちゃんは旦那に甘すぎるって、ママが言ってたよ」と言われる始末である。
さて、彼とて家を靴下まみれにしたいとは思っていないはずだ。けれどもこんなことになってしまうのは、人間のとても神秘的な部分である。犬や虫の目が人間と違う現実を捉えているように、同じ人間同士だからといって同じ景色を眺めていると思ってはいけない。
家に帰ってきて、靴下を脱ぐところまではたいへん理解できる。とても気持ちが良いもの。けれども問題はその後だ。どうして靴下がこうもあちらこちらに行ってしまうのか。一度監視カメラでも付けて観察してみたいものだが、そうもいかない。
私の中で一個だけ、推測がある。その推測とは、彼は彼なりに靴下を片付けているというものだ。
ベッドと壁の数センチの隙間にねじ込まれた靴下。そしてまた、タンスの下で重なりあった靴下。はたまた、サボテンの隙間を縫うように置かれた靴下。どれもこれもただ無造作に床に投げ捨てられている靴下とは一線を介す、理性とはまた違った作為を感じさせないだろうか。そもそも人間にとって「しまう」とは何なのかという考察も可能かと思われ一人新しいテーマとの遭遇に胸を躍らせたが、はたと自分を省みて、何をやっているんだと思い、やめた。その点考えるよりもまず拒否を示した芳佳ちゃんは賢いと言わざるを得ない。
結婚当初は不法投棄された靴下たちをひとつひとつ集めて洗濯機に放り込んでいたが、ある日小学校の校庭にあるアリの巣を全部探し当てようとするくらい埒があかないと気付かされた。あなたの靴下を集める人生を送りたかったわけじゃないわとか言って家を飛び出ることも考えたけれど、気持ち的にはたいへんせっぱつまっている割にどうも滑稽なのが府に落ちず、まだ若くて格好つけていたかった私は見て見ぬフリ作戦に切り替えた。
どこに置いたか分からなくなってしまっているだけで、靴下は家のどこかにある。だから彼がせっせと補給すればするほど、家の中の総靴下量は増すばかりなのだ。
靴下がどこにいっているのかといえば、出張に行った際の旅行鞄の中であり、旅行先から荷物が増えて小分けにした紙袋の中であり、ベッドと壁の数センチの隙間であり、タンスの下であり、棚の上のサボテンの間である。一回私たちが簡易の神棚を作っている棚の上にきれいに折り畳まれた靴下が置かれているのを見た時は、「なるほどなぁ」と、ジャングルで新種の動物の生態調査をしている学者のごとく妙に感心してしまった。こんなパターンもあるのですねと。
姪っ子の芳佳ちゃんがある日学校から出された自由研究に困っているところに出会ったので、うちの夫の靴下の写真を撮り、日付と状況を説明した文章を添えたら立派に自由研究にならないだろうかと提案したが、それはそれは怪訝な顔をされた。私としては文化人類学の新しい視座が開けるかもしれないと思ったのだが、「やっちゃんは旦那に甘すぎるって、ママが言ってたよ」と言われる始末である。
さて、彼とて家を靴下まみれにしたいとは思っていないはずだ。けれどもこんなことになってしまうのは、人間のとても神秘的な部分である。犬や虫の目が人間と違う現実を捉えているように、同じ人間同士だからといって同じ景色を眺めていると思ってはいけない。
家に帰ってきて、靴下を脱ぐところまではたいへん理解できる。とても気持ちが良いもの。けれども問題はその後だ。どうして靴下がこうもあちらこちらに行ってしまうのか。一度監視カメラでも付けて観察してみたいものだが、そうもいかない。
私の中で一個だけ、推測がある。その推測とは、彼は彼なりに靴下を片付けているというものだ。
ベッドと壁の数センチの隙間にねじ込まれた靴下。そしてまた、タンスの下で重なりあった靴下。はたまた、サボテンの隙間を縫うように置かれた靴下。どれもこれもただ無造作に床に投げ捨てられている靴下とは一線を介す、理性とはまた違った作為を感じさせないだろうか。そもそも人間にとって「しまう」とは何なのかという考察も可能かと思われ一人新しいテーマとの遭遇に胸を躍らせたが、はたと自分を省みて、何をやっているんだと思い、やめた。その点考えるよりもまず拒否を示した芳佳ちゃんは賢いと言わざるを得ない。
結婚当初は不法投棄された靴下たちをひとつひとつ集めて洗濯機に放り込んでいたが、ある日小学校の校庭にあるアリの巣を全部探し当てようとするくらい埒があかないと気付かされた。あなたの靴下を集める人生を送りたかったわけじゃないわとか言って家を飛び出ることも考えたけれど、気持ち的にはたいへんせっぱつまっている割にどうも滑稽なのが府に落ちず、まだ若くて格好つけていたかった私は見て見ぬフリ作戦に切り替えた。
そんなある日、夫が会社の忘年会のビンゴで掃除ロボット「ルンバ」をもらって帰ってきた。景品がすごく良くて他にもアップルウォッチとかもあったのにあえてこれを選んだ妻想いの僕に酔いしれた夫に散々鼻息荒く周りをうろうろされた私は、とりあえずお風呂に逃げることにした。その間に黒い円盤型のロボットは完全ではないけれど動く程度には充電され、お手並拝見と言わんばかりに私たちはロボットを挟み込んだ。典型的ないじめの体制である。大人二人に囲まれたロボットはけれど臆することなく、シュインといかにもロボットらしい好感が持てる音をあげて動き出した。動く姿を見るや妙な興奮を覚えてしまい、ついつい「おぉ」と拍手せずにはいられない。赤ん坊しかり初めて自分の足で立った鹿しかり、どうしてこうも初めて動き出すものに「よくがんばった」という愛おしさが込み上げてしまうのだろう。最初は「ルンバ」と呼んでいたのに、次の日には示し合わすことなく二人とも「ルンちゃん」と呼んでいた。
こうしてありがたいことに床掃除がとてもラクになり、私がベッドで猫の小夏とゴロゴロしている間にルンちゃんはベッドの下にまで入り込んでせっせと埃を吸い上げてくれている。
そんなある時ベッドの横の隙間からうっかりスマホを落としてしまい、私はベッドの下を覗き込んだ。そして落としたスマホよりも先に目に入ってきたのは、とても惨めそうに体をくねらせた夫の靴下である。
ルンちゃんはといえば、上手に靴下を避け、周りをきれいにしてくれている。その時なぜだろう、私は生まれてはじめてロボットに、小姑のような感情を抱いた。掃除がラクになったというのに、人間の欲望は本当に尽きない。
靴下集めロボットは、いつできるのだろう。
こうしてありがたいことに床掃除がとてもラクになり、私がベッドで猫の小夏とゴロゴロしている間にルンちゃんはベッドの下にまで入り込んでせっせと埃を吸い上げてくれている。
そんなある時ベッドの横の隙間からうっかりスマホを落としてしまい、私はベッドの下を覗き込んだ。そして落としたスマホよりも先に目に入ってきたのは、とても惨めそうに体をくねらせた夫の靴下である。
ルンちゃんはといえば、上手に靴下を避け、周りをきれいにしてくれている。その時なぜだろう、私は生まれてはじめてロボットに、小姑のような感情を抱いた。掃除がラクになったというのに、人間の欲望は本当に尽きない。
靴下集めロボットは、いつできるのだろう。